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No.25 大人でも増え続ける脳の神経細胞

No.25 大人でも増え続ける脳の神経細胞

 一度できあがると、あとは減っていくだけ。そう信じられてきた脳の神経細胞だが、最近では脳の特定の場所では、大人になってからも新しい神経細胞がつくられ続ける、というのが定説だ。ブレインヘルスニュースNo.19(2007年3月20日発行)では、この神経新生をテーマに取り上げ、神経細胞の新生には、加齢のほか、ストレスや運動、栄養などの環境因子が影響することを伝えた。
 これに関連して、東北大学大学院医学系研究科教授の大隅典子氏らは、このほど横浜で開かれた「Neuro2007」(日本神経科学大会、日本神経化学会大会、日本神経回路学会大会の合同大会)で、「不飽和脂肪酸であるアラキドン酸(ARA)※1の摂取により、生後まもないラットの神経細胞の新生が促進される」ことを発表した。今回のブレインヘルスニュースでは、この大隅氏らの研究を中心に紹介する。

アラキドン酸摂取で、神経細胞の増殖が1.3倍に

 脳の神経細胞の大部分は胎児のころに形成されるが、生後も海馬など脳の一部には、神経細胞を生みだす「神経幹細胞」が残り、生涯に渡って新しい神経細胞がつくられる。大隅氏らの研究グループは、生後に起こる神経細胞の新生に対して、外からの栄養摂取がどのような影響を与えるかを調べている。
 今回の研究では栄養成分の中でも、本ニュースでもしばしば取り上げているアラキドン酸(ARA)とDHA(ドコサヘキサエン酸)に着目している。どちらも脳との関係が深いと言われる必須脂肪酸だ。これらの成分は特に乳児期の脳の発育に重要とされ、すでに世界中でアラキドン酸(ARA)、DHA配合の乳児用粉ミルクが売られている。また今年7月には、国際的な食品規格の策定などを行うコーデックス委員会(国際食品規格委員会)で、「乳児用粉ミルクにDHAを配合する場合、同量以上のアラキドン酸(ARA)の配合を推奨する」ことが合意され、国際的にもその有用性が認められている(ブレインヘルスニュースNo.23参照)。
 実験では生後2日目のラットに、アラキドン酸(ARA)配合の飼料と、DHA配合の飼料をそれぞれ4週間摂取させた。生後3週目ごろまでは、ラットは自分で飼料を食べることができないため、この間は母親のラットに同様の飼料を与え、母乳を介して摂取させている。

海馬の神経細胞の増殖における各種脂肪酸摂取の結果

 図1は、実験期間終了後のラットから脳を取り出し、海馬における神経細胞の増殖の程度を調べた結果である。アラキドン酸(ARA)及びDHAを含まない飼料を与えた対照群と比較すると、アラキドン酸(ARA)摂取群の方が、3割ほど神経細胞が多く増えており、統計学的な有意差も確認された。一方、DHA配合の飼料を摂取した群は、神経細胞の数が対照群に対して1割ほど増加していたが、こちらは統計学的な有意差は認められなかった。

アラキドン酸が、神経細胞の増殖を促進するメカニズムとは?

 アラキドン酸(ARA)を摂取したことで、なぜ神経細胞が増えたのか。大隅氏はそのメカニズムの解明にも取り組んでいる。
 そもそも神経細胞は、親となる神経幹細胞が分化することによって生みだされるのだが、今回の研究で大隅氏らは、ラットの海馬の神経幹細胞内に、ある種のタンパク質が多く発現していることを確認している。
 このタンパク質は神経幹細胞の中で脂肪酸と結合し、その脂肪酸を核まで運搬する働きを持つ。また神経細胞の新生に深く関与していることが、これまでの研究で明らかになっている。大隅氏らは、アラキドン酸(ARA)を含む飼料を摂取したラットでは、アラキドン酸(ARA)がこのタンパク質によって神経幹細胞の核内に運ばれ、神経幹細胞の分裂を促す遺伝子のスイッチを「オン」にしているのではないか、との仮説を立てている。
 DHAでさほどの効果が出なかったことについては、「神経細胞を増やすためには、おそらくアラキドン酸(ARA)もDHAも両方必要。ただ神経細胞が生まれるプロセスにおいて、両者は作用するポイントが違うのではないか。今回の実験から、少なくとも神経幹細胞の遺伝子に直接作用し、分裂のスイッチを押すという最も根本的な部分は、アラキドン酸(ARA)が担っていることが推察される」と述べている。
 また、大隅氏らはすべてのアラキドン酸(ARA)が核内に取り込まれたのではなく、その一部は細胞膜の成分として使われ、その結果、神経幹細胞の細胞膜が、分裂に適した柔らかい膜になったことも、神経細胞の増殖が促された一因ではないかと考えている。脂肪酸は細胞膜の主な構成成分だが、アラキドン酸(ARA)などの不飽和脂肪酸の比率が高くなれば、膜の柔軟性が増す。実験では、アラキドン酸(ARA)配合の飼料を摂取した群では、細胞膜中のアラキドン酸(ARA)の量が、対照群と比較して有意に増えていることも確認されている。

1日3食。毎日の食事が脳の健康を支える

 今回の大隅氏らの実験では、生後まもないラットを用いたが、大人のラットを使った同様の実験も現在進行中だ。さらに大隅氏は、人間の成人の場合も同じような結果が得られる可能性は十分に考えられると話す。
 「遺伝子と言うと、体が作られる一定期間だけに使われるもの、と思われがちだが、遺伝子のスイッチのオン・オフは、状況に応じて常に行われている。私たちは日々、食事から脂肪を摂っているが、そういう栄養成分も遺伝子レベルに働きかけ、大人になってからも神経細胞の新生に影響を与えていることを知ってほしい」と大隅氏。
 ちなみに、女性ホルモンや男性ホルモンなどの性ホルモンも脂肪の一種で、同様のメカニズムで遺伝子に作用し、体のさまざまな機能を調整している。食事から摂った脂肪が、性ホルモンと同じ作用機序で働くと考えれば、その影響が決して小さくないことが理解できるだろう。
 最近では神経細胞が作られにくくなると、うつ病や統合失調症など、脳の病気になりやすいとの指摘もある。大隅氏らも統合失調症と脂肪酸摂取との関係について、近く研究論文を発表する予定だ。またメタボリックシンドロームが取り沙汰される昨今、大隅氏は「メタボを気にして、肉や卵をほとんど食べない生活を続けていると、アラキドン酸(ARA)の摂取量が極端に少なくなり、神経細胞が増えにくくなる。そうなると『やる気が出ない』『うつっぽい』など、脳の健康を損ないやすくなるのではないか」との懸念を抱いている。こと健康に関しては、“こちらを立てれば、あちらが立たず”では都合が悪い。メタボ世代の人も、むやみに肉や卵を避けるのではなく、食べ方を工夫しながら、バランス良く摂る必要があるということだろう。
 脳の健康に大きく関わっている食事。忙しさにかまけて、ついいい加減に済ませることも少なくないが、その影響力は私たちが思った以上に大きいのかもしれない。この機会に、自分の食事についてもう一度、振り返ってみてはどうだろう。

※1 アラキドン酸(ARA)
細胞膜を構成する不飽和脂肪酸。体の組織のいたるところに存在するが、特に記憶との関係が深い海馬を中心に脳にも多く含まれ、そのため脳の機能そのものに大きく関わっていることが、最近の研究結果から明らかになりつつある。食品では肉や卵、魚などに含まれ、食事からの摂取が必要な「必須脂肪酸」のひとつに数えられている。