脳を理解するための基礎知識
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No.20 年をとると“方向オンチ”になる?

No.20 年をとると“方向オンチ”になる?

 私たちが近所の店に買い物に行ったり、自宅から駅までの道順を人に説明できるのは、頭の中に大まかな地図(認知地図)を持っているからだ。いわゆる“方向オンチ”な人には、この地図がうまく描けない、あるいは活用するのが苦手という人が多い。
 認知地図は、その場所や空間についての記憶をもとに作られる。今回のブレインヘルスニュースでは、この認知地図を作る能力、すなわち空間認知能力について、同志社大学文学部心理学科教授の岡市廣成氏らの研究を紹介する。

空間認知能力も年をとると衰える?

 空間認知能力とは、簡単に言えば、自分がいる場所についての空間的な関係を理解し、頭の中で認知地図を作り上げる能力のことである。知らない街を2度、3度と訪ねるうち、何も見なくても自在に歩き回れるようになるのは、その街に関する地理的な記憶が脳に蓄えられ、認知地図が次第に出来上がってくるからだ。
 動物の中には地磁気(地球が持つ磁気)など、自然の情報を読みとって長距離の移動を行うものもいるが、人間同様、認知地図を使う動物もいる。よく知られているのが、しばしば実験動物として用いられるラットだ。
 岡市氏らの研究グループは、このラットの空間認知能力を調べている。岡市氏らは実験で、若齢ラット(14週齢)と老齢ラット(87週齢)を次のような3群に分け、空間認知能力のテストとして広く認められている「モリス型水迷路」の2つの課題を行わせた。

・YC群…通常のラット用飼料で飼育した若齢(14週齢)ラット群。
・OA群…アラキドン酸(1日40mg)を含む飼料を、約2ヵ月間与えた老齢(87週齢)ラット群。
・OC群…アラキドン酸を含まない飼料を、約2ヵ月間与えた老齢(87週齢)ラット群。

 月齢の違うラットを用いたのは、ラットの空間認知能力に対する加齢の影響を見るためである。またアラキドン酸(ARA)※1は、肉や卵に多く含まれる不飽和脂肪酸で、老化による記憶力の低下を改善する効果が期待されている。空間認知も記憶の一種なので、老齢ラットにアラキドン酸を摂取させることで、その能力がどのように変化するかを調べようというのだ。

モリス型水迷路の実験装置
逃避台に到達するまでの時間の変化

アラキドン酸摂取で老齢ラットの空間認知能力が改善

 図1はこの実験で用いる「モリス型水迷路」の装置である。直径1.5メートルほどの円形のプールに、墨汁で黒く着色した水が入っている。一つ目の課題ではプールを仮想上の東西南北の軸で4分割し、そのうちの1つのエリアに円柱状の逃避台を置いた。この逃避台は水面下1センチまでの高さしかなく、しかも黒く塗ってあるので、ラットには水上からも水中からも逃避台が見えない。
 このような装置でラットを図1のようにプールの縁から放し、逃避できる場所(逃避台)を探させる訓練を、すべてのラットに1日4回、計7日間行った。なおラットを放す地点は毎回変えている。ラットは訓練を重ねるうち、プールが設置してある部屋の様子から、逃避台が部屋全体のどこにあるかを記憶し、頭の中に認知地図を作り出す。そのためプール内でのスタート位置が変わっても、その認知地図を手がかりにすばやく逃避台に向かうことができるようになる。
 その結果を図2に示した。訓練開始当初、逃避台に到達するまでの時間は、若齢ラット(YC群)に比べ、老齢ラット2群(OA群、OC群)では明らかに長かった。しかし訓練4日目以降になると、アラキドン酸を摂取したOA群は、YC群とほぼ同じ時間で逃避台にたどり着けるようになった。
 一つ目の課題が終了したところで、今度は逃避台を取り除き、同じラットに60秒間、逃避台を探させるという課題を行った。ラットは一つ目の課題で逃避台の位置を学習・記憶しているので、それを覚えていれば、逃避台がもとあった場所に行こうとするはずである。
 結果は図3のようになった。各群のラットが逃避台のあった位置を何回横断したかを数えたところ、YC群は平均7.0回、OA群は5.1回、OC群は3.3回であった。OC群はYC群より明らかに劣り、OA群はYC群と統計的に差がなかった。60秒間に泳いだ量は3群で差がなかったことから、OA群はOC群より逃避台の位置をよく記憶していたことになる。

逃避台のあった場所を横切った回数

以上2つの結果は、ラットの空間認知は加齢によって低下するが、アラキドン酸を摂取することで、ある程度改善されることを示している。

ラットの空間認知は海馬のアラキドン酸量に相関

 さらに岡市氏らは、2つの課題を終えた老齢ラット(OA群、OC群)の海馬を取り出し、海馬内のアラキドン酸量を調べている。ラットの空間認知は海馬が司っていると言われているが、最初の課題で逃避台に早く到達したラットほど、海馬内のアラキドン酸量が多いことがわかった。ただしアラキドン酸を長期摂取したOA群と、アラキドン酸を摂取しなかったOC群では、その量に有意差は認められなかった。岡市氏は「脳の脂肪酸量は簡単に変化しないように保護されているのかもしれない。しかしOA群では空間認知の行動が明らかに良くなっており、わずかに増えたアラキドン酸がいい影響を与えている可能性はある」と述べている。
 ここまでラットの空間認知に関する研究を紹介してきたが、これらの結果がどこまで人間に当てはまるかは未知数である。しかし加齢が空間認知能力に及ぼす影響や、アラキドン酸の改善効果は、人間についても非常に興味の持てるところだ。
 ただし人間の場合は、例えば外を歩くときでも、空間認知だけに頼っているわけではない。頭の中に地図を描くのが苦手な人は、「コンビニのある角を右に曲がって直進し、3つ目の信号を左折して……」と、知らず知らずのうちに、目印や標識で道を覚える術を身につけていたりする。人間の脳は複雑であるがゆえに、一筋縄では解明できない。それが人間の脳のおもしろいところでもある。

※1 アラキドン酸(ARA)
細胞膜を構成する主要な不飽和脂肪酸。体の組織のいたるところに存在するが、特に記憶との関係が深い海馬を中心に脳に多く含まれ、そのため脳の機能そのものに大きく関わっていると言われている。食品では肉や卵、魚などに含まれ、食事からの摂取が必要な「必須脂肪酸」のひとつに数えられている。