脳を理解するための基礎知識
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No.19 大人でも増える脳の細胞加齢のほか

No.19 大人でも増える脳の細胞加齢のほか

 人間の脳細胞(神経細胞)はひと通りできあがると、あとは減っていくだけ。新しく生まれ変わることはない……長い間、広く信じられてきたこの説が、ここ十年ほどで否定されつつある。どうやら脳の一部では、生涯を通じて神経細胞が生まれているらしい。とうの昔に大人になってしまった者にとっては、希望の持てる明るい話である。
 従来の定説が覆されたことで、今、脳・神経科学の分野ではダイナミックな変革が起きている。「教科書を書き換えなければならないことが、ここ数年で明らかになってくるだろう」という東北大学大学院医学系研究科教授の大隅典子氏に話を聞いた。

大人の脳でも神経細胞は生まれている

 人間の脳はおよそ1000億個の神経細胞と、その10倍の数のグリア細胞(神経膠細胞)でできている。私たちが日常的に“脳細胞”と言っているのは神経細胞のことで、脳の働き全般をこの細胞が担っている。
 1000億もの神経細胞は、胎児のころに「神経幹細胞」という細胞から、驚異的なスピードで作られる。つまり私たち人間は、構造的にはほぼ完成された脳を持ってこの世に誕生するわけだが、かといって「それでおしまい」というわけではないようだ。神経細胞そのものに増殖する能力はないが、その母親とも言える神経幹細胞が生後も脳の特定の場所に残ることが、最近の研究で確認されている。そしてそれらの幹細胞は“脳のメンテナンス部隊”として、生涯にわたって新しい神経細胞をこつこつと生み出し続けているのである。

ヒトの海馬(ヒトの大脳の断面図)
ラットの海馬における神経細胞の産出

 例えばラットでは“記憶の中枢”と言われる海馬で、1日に8000~9000個の神経細胞が新たに生まれている。その大部分は淘汰されるものの、約1割は生き残り一人前の神経細胞として働くことが明らかになっている。脳の中でもなぜ海馬なのかは、現段階では分かっていない。ただ同じ記憶でも海馬が担当するのは、新しい記憶を比較的、短い間留めておく短期記憶。短期記憶はその後、永続的な長期記憶として他の部分(大脳新皮質)に受け渡されていくが、大隅氏は仮説として「長期記憶を安定してストックしている部分より、記憶の入口である海馬を、常に新しい細胞で更新しておいた方が、物事を記憶する上で効率が良いのかもしれない」としている(図1)。

ストレスや低栄養で“増えない脳”に。うつ病との関係も

 海馬などで確認されている神経細胞の生まれ変わりは、加齢や外的な要因に影響されることも、ラット等の研究で報告されている。
 図2に示した実験では、正常ラット、Pax6変異ラットの両群で、生後4週、12週、20週と、加齢に伴い新しい神経細胞が生まれる数が減少しているのが分かる。「Pax6」とは神経細胞が作られるプロセスにおいて、重要な役割を持つと考えられている遺伝子だが、この遺伝子に傷がついたPax6変異ラットでは、正常なラットに比べて神経細胞の産生が少なくなっていることも図2の結果は示している(生後4週、12週では有意差が確認)。
 「加齢以外でも過剰なストレスがかかったり低栄養の状態にあると、神経細胞の産生が妨げられることがこれまでに分かっている。これらがPax6に直接関与しているかどうかは明らかではないが、少なくとも神経細胞が生まれてくる過程のどこかに悪影響を与えていると考えられる」(大隅氏)。
 では新しい神経細胞が作られなくなると、どうなるのだろうか。現在、指摘されているのはうつ病との関わりだ。うつ状態の動物の海馬では神経細胞の産生が低下していること、うつ状態の動物にうつ病の薬を投与すると、神経細胞が再び作り出されることなどが分かっている。このほか大隅氏らの研究チームでは、統合失調症やアルツハイマー病との関わりにも着目し研究を進めているところだ。

“増える脳”を維持するために。栄養成分との関連性も研究中

 ストレスや低栄養により神経細胞の産生が低下するなら、日常レベルで神経細胞が生まれやすくすることもできるのだろうか。
 「これまでにラットでの効果が確認されているのは、学習や全身運動。毎日違う匂いを嗅がせた研究でもいい結果が出ている。総じてストレスにならない程度のマイルドな刺激は、神経細胞の産生を促すようだ」と大隅氏。このほか大隅氏らが特に関心を寄せているのが栄養成分だ。特定の栄養を補給すると神経細胞が作られやすくなる、ということがあるのかどうか。毎日の食事に関わる問題だけに研究報告を期待して待ちたい。
 私たちは脳の細胞というと、他の細胞とは全く違う特別な存在と考えがちだ。確かに異なる点もあるが、共通点も案外多い。皮膚の細胞が日々生まれ変わるのと同じように、少なくとも脳の一部では常に新しい細胞が生み出され、新陳代謝が行われているのだ。そして食事や運動、ストレスといったごく日常的な事柄が、良くも悪くも影響するという点も同じだ。どんなことをすると神経細胞は増えやすくなり、どんなことをすると増えにくくなるのか。また神経細胞の産生低下は脳の病気とどんな関わりを持つのか……詳細が解明されるにはもう少し時間がかかるとしても、少なくとも今の時点で「不摂生を続けていると脳の細胞が増えなくなる」ということくらいは、脳の健康のために肝に銘じておきたい。