脳を理解するための基礎知識
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No.2 耳鳴りに潜む心のやまい

No.2 耳鳴りに潜む心のやまい

 その昔、かのベートーベンも悩まされたといわれる耳鳴り。日本聴覚医学会によると、日本人の約17%が耳鳴りを経験し、20人に1人は耳鳴りが原因で日常生活に支障をきたしているという。耳鳴りは脳の機能と深く関わり、長引けば軽症うつ病など、心のやまいを引き起こすこともある。近年このような認識が広まるなか、心のケアを含めた新しい耳鳴り治療が始まっている。

耳鳴りとうつ

 最近、臨床心理士を置いたり、カウンセリングを重視する耳鼻咽喉科が増えはじめている。耳鳴りや難聴など、耳の病気の背後には、心のやまいが潜んでいることが少なくないからだ。
 千葉県のみつわ台総合病院耳鼻咽喉科では、問診票の質問項目に、「気分が沈んで憂うつだ」、「夜よく眠れない」など、心の問題に関するものが含まれている。副院長・耳鼻咽喉科部長の中川雅文氏は「ここに来る患者さんは、耳の治療に来たと思っている。だから心にトラブルを抱えていても案外、気づいていない。こういった問診票を使うことで、患者さんの精神状態を知ることができる」と語る。
 実際、耳鳴りが重い人、長期化している人ほど、問診票の結果を見ても、軽症うつ病かそのボーダーラインにいることが多い。耳鼻咽喉科で抗うつ剤を処方するケースもあるという。

耳鳴りは脳がつくりだす?

 耳鳴りはどのようにして起こるのか。耳鳴りは「蝸牛」という、耳の奥で音を感じとる器官が、疲労やストレス、または老化などによって、うまく機能しなくなって発生する。しかし最初の原因は耳にあっても、その音を慢性化、重症化させてしまうのは脳である。
 私たちはふだん、耳に入ってくる音をすべて聞いているわけではない。時計の秒針や、冷蔵庫のモーターの音などは、意識すれば聞こえるが、意識しなければ聞こえない。これは脳に「重要なこと」、「危険なこと」、「興味、関心のあること」など、自分に必要と判断した情報だけを選択し、意識に上らせる働きがあるからである。
 簡単にいえば、この脳の働きが耳鳴りをつくりだす。耳鳴りはとかくネガティブなサインと受け止めがちだ。「何か悪い病気ではないか」「もっとひどくなったらどうしよう」と不安や恐れを抱くことで、脳は耳鳴りの音を「危険な音」と判断し過敏になる。その結果、たとえ耳の機能が快復しても、脳はそれまで意識しなかったレベルの音からでも、耳鳴りの音を拾い出し、脳のなかで増幅させるのである。こうなると耳鳴りの苦痛はますます増し、悪循環に陥る。

耳鳴りモデル

明るい、暗いがある耳鳴りとTRT療法

 耳鳴りを訴える患者に対しては、耳そのものや体全体に異常がないかの検査を最初に行う。「検査で異常がないことがわかれば、あとは耳鳴りに対するネガティブな感情を取り除いて、悪循環を断ち切ることが大切」と中川医師。そのためにカウンセリングが有効なのだという。実際、カウンセリングを通じて、耳鳴りがあってもそれほど気にならない“明るい耳鳴り”になる患者が大部分だ。前向きに受け止めれば、耳鳴りの症状は快方に向かう。しかし反対に、耳や全身の検査で異常が見つからないことに、「だれにもわかってもらえない」と不安を募らせ、“暗い耳鳴り”になっていく人もいる。いうまでもなく、不眠や抑うつ的な気分から、軽症うつ病を併発しやすいのは、この“暗い耳鳴り”だ。
 耳鳴りのメカニズムが解明されるに伴い、カウンセリングと音響療法を組み合わせた「TRT(耳鳴り順応)療法」が今、注目を集めている。ひと言でいえば、これは「耳鳴りをなくす」のではなく、「耳鳴りがあっても気にならない状態」にする治療法。つまり“暗い耳鳴り”から“明るい耳鳴り”に転換させるのが目的だ。1990年代にアメリカで考案され、欧米を中心に普及している。日本でも2002年ごろから導入されはじめ、今年9月に開催された日本聴覚医学会では、主題にも取り上げられている。
 音響療法では補聴器のような器具を装着し、「ホワイトノイズ」と呼ばれるFMラジオの雑音に似た音を1日数時間、聞きながら過ごす。音の大きさは耳鳴りを完全に消さない程度。相対的に耳鳴りの音を小さくすることで、苦痛を軽減させ、耳鳴りだけに意識が集中しない状態をつくりだす。

TRT療法で使われるホワイトノイズ

 これは線路の近くに住む人が、最初は電車の騒音が気になったのに、次第に気にならなくなるのと同じ原理。脳が環境に順応し、やがて耳鳴りの音を意識しなくなる。
 TRT療法には平均して1、2年の期間を要するが、約8割の人に症状の改善が認められたことが報告されている。ほかに耳鳴りの音を完全に覆い隠す治療法もあるが、これまでのところ、耳鳴りを受け入れながら、症状の緩和をはかるTRT療法の方が、より高い改善効果を見せている。

耳以外のことも積極的に伝えるのが、受診のコツ

 稀なケースだが、脳梗塞や聴神経腫瘍など、重い病気のサインである場合もあるので、耳鳴りがしたら放置せず、耳鼻咽喉科を受診するのが原則。しかしこれまで述べてきたように、ストレスや心のやまいが、耳鳴りをこじらせている可能性があることも覚えておきたい。受診の際は、耳以外で気になっていることがあれば、積極的に医師に伝えることが大切だ。現在までのところ、TRT療法を行う医療機関は全国で100に満たない。まだまだ発展途上だが、医療機関どうしのネットワークは整いつつあるので、必要に応じて紹介してもらうことは可能である。うまく活用して、“暗い耳鳴り”の悪循環に陥ることのないようにしたいものだ。